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2006.02.16

桜の美しさ

藤原正彦さんの著書“国家の品格”に影響されたエントリーが続きます。

「美意識の基本」という項目で、新渡戸稲造さんが日本人の美意識に触れている部分を紹介しています。
まず、「武士道の象徴は桜の花だ」と定義し、桜と西洋人が好きな薔薇の花とを対比して「桜のその美は高雅優麗(こうがゆうれい)が我が国民の美的感覚に訴えうること、他のいかなる花も及ぶところではない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分かつことを得ない」と説明しています。

そして以下、私自身は忘れていた本居宣長の有名な歌をひいています

敷島のやまとこころを人問わば 朝日に匂ふ山桜花

この歌に対して藤原さんはこう書いています。

薔薇の花の色も香りも濃厚で、美しいけれどトゲを隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せていく。それに比べ、我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。

そして、新渡戸さんが本居宣長の歌を「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照らし、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるままにまさる清澄爽快はない。この清澄爽快の感覚が大和心の本質である」と説いている、と紹介してくれています。

うん。同感です。

桜の美しさについては子供の頃の原体験があります。
当時住んでいた街には米軍が接収した土地がありました。アメリカンハウスが建ち並び、そこだけは「別世界」でした。小学校の上がる4月にその土地が市に返還されることになり、跡地利用に街中が話題騒然でした。3月末、近所の方々と花見をその立ち入り禁止の土地で催しました。今となっては良くできたなぁ、と思う花見でした(きっと領土はまだアメリカですよね)。
大きな桜の樹の下、アメリカンハウスを遠目に見ながら野原で催した花見。風に散る桜花。隣の子と相撲を取っている写真が残っています。淡い、楽しい想い出です。
その時に観た桜の美しさ、楽しさ、儚さ、そして気持ちよさは私の原体験です。
毒々しさや禍々しさ、ねめつくようなしつこさは微塵もありません。
JR東海も今「そうだ 京都、行こう」キャンペーンをやっていますが、さくら色で綺麗なページとなっています。

湿度の関係でしょうか、春先に観る桜花には美しさを感じます。そして、自分自身が達成できないからでしょうか。桜の潔さや淡い感じ、美しさに憧れます。
ゴテゴテ着飾ったものは嫌い。人工的な色や形も嘘っぽい。野性味も主張が強すぎてきつい。薔薇と桜とはその存在する意味が全く違うと感じられます。この対比は興味深い視点だと感じます。

結論。どうやらわたしは桜がまとう美しさが好きと感じるようです。

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